美術的価値 という言葉の定義について

 ハイクに一回放り込んだ代物を、ハイクでもやっぱり長いと思ったのでこちらに転載しておきまんす。参考程度にどぞ

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美術的価値について、某所で話題になっていたので
仮にも美術史を齧った者(苦笑)の観点から、本格的なことに言及しようとして
長ったらしい文章になりそうなんでこちらにうpしてみるテスト
美術的価値については、無論いろんな切り口から考えられはしまんす
美術史学の観点においては時代ごとに大まかな形式というものが存在して
 (例えばルネサンス以前は日本の浮世絵をほうふつとさせる漫画のような表現だった)
その形式を作っていった画家が「価値がより大きい」とされています
 (例えば、前述のような漫画のよーな表現だったものが
 ルネサンスに見られるリアリスティックな表現になったのは、
 主にジョットと呼ばれる画家が切り拓いていったところが大きい)
要するに、「あやつは……時代を作りやがった……」というところですね^^
 
ただ、ならばそういう奴らは「流行に乗っただけでねーのか」と思われるかもしれんのですけど、
実際にその「流行」を作ることがどれほど凄いことなのか
またそうして時代を作っていった作品がどれほどのものであるのか
ぜひレオナルド・ダ・ヴィンチやらリュベンスやらモネやらの作品を
写真でなく実物で見て頂きたいんですけども
これらのいわゆる「有名どころ」の作品はどれも紛れもなく人類の至宝です
好き嫌いは別として、この表現が、この作品が
どれほどの試行錯誤の果てに生み出されたものであるのか
想像するだに難しい 人間の持ちうる膨大なエネルギーが
注がれたのだということが素人にもわかる作品ばかりです
前述のジョットは漫画的形式が一般的だった時代に、
ギリシャ・ヘレニズムの美術を目の当たりにして自分のものにしようと試みた人ですけども
では私らはジョットのように、漫画的表現が主流の時代に
リアリスティックな表現を世に送り出すことができるのであろうか
 
私なんかは、この「試行錯誤の果て」に該当する過程の有無と濃度が
うごメモでも何でも最終的な評価基準に繋がってくるのではないかと思いまんす
あくまで個人的な見解なんで、あまり反対意見とか求めたいわけでもないのであしからず;